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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)1297号 判決 1991年5月15日

原告

新山貞夫

右訴訟代理人弁護士

上条貞夫

小野幸治

被告

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

石月昭二

右訴訟代理人弁護士

大川實

右代理人

矢野邦彦

藤田実

室伏仁

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金五〇万円を支払え。

第二事案の概要

勤務の場所及び態様等の変更を命じられた原告が、この命令は、組合活動の中心的立場にあった原告に対し、その組合活動のゆえに不利益を強いると共に、組合の団結の弱体化を狙ったもので、労働組合法七条一号、三号所定の不当労働行為に該当し、不法行為を構成する、と主張して、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  被告は、日本国有鉄道法に基づいて設立された公共企業体で、日本国有鉄道と称していたが、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法(昭和六一年法律第八七号)一五条、同法附則二項、日本国有鉄道清算事業団法(昭和六一年法律第九〇号)九条一項、同法附則二条に基づき、日本国有鉄道清算事業団に移行した(以下、右清算事業団に移行する前の被告を「国鉄」という。)。

2  原告は、昭和三七年三月、臨時職員として国鉄に採用され、その後、正規職員となり、田町電車区などの勤務を経て、昭和三九年八月、品川電車区の電車係となり、昭和五三年一月からは、同電車区の車両検査係として勤務していた。

なお、品川電車区は、昭和六〇年一一月一日付けの組織改正で、運転部門が分離されて品川運転区となり、これに伴って「山手電車区」に名称を変更した(以下、名称変更前の電車区を指すときは「旧品川電車区」という。)。

3  原告は、昭和三八年四月、国鉄労働組合(以下「国労」という。)に加入し、その後、昭和四一年一〇月から四四年一〇月まで国労東京地方本部新橋支部品川電車区分会(以下「分会」という。)の青年部長、昭和四四年一〇月から四五年一〇月まで分会執行委員、昭和四五年一〇月から五二年一〇月まで分会書記長、昭和五二年一〇月から五五年一〇月まで分会執行委員長、昭和五五年一〇月から五八年一〇月まで分会副執行委員長、昭和五八年一〇月から六〇年一二月まで分会執行委員長の各役員を歴任したほか、併せて、昭和五〇年一〇月から六〇年一二月まで国労蒲田地区共闘会議議長を務め、昭和六〇年一一月には国労東京地方本部電車協議会副議長に就任した。

4  旧品川電車区長は、昭和六〇年一〇月二四日、原告に対し、同年一一月一日から山手電車区品川派出所に車両検査係として勤務するよう命じた(以下「本件命令」という。)。

5  原告が勤務を命ぜられた品川派出所は、山手電車区本区から離れた品川駅の構内に詰所が置かれており、一方、原告が執行委員長を務める分会の事務所は、山手電車区本区の構内にあった。

また、本件命令前の原告の勤務形態は日勤であり、これに対して、品川派出所の勤務形態は徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務であって、原告にはこのような勤務の経験がなかった。

二  争点

本件の争点は、原告に対してされた本件命令が、労働組合法七条一号、三号所定の不当労働行為に該当し、原告に対する不法行為を構成するかどうか、である。

(原告の主張)

1 本件命令の不合理性

旧品川電車区の小林区長は、本件命令の直後である昭和六〇年一〇月二八日午前九時過ぎ、同区長室において、原告が当日指定されていた品川派出所勤務のための机上講習について指示を求めた際、本件命令の理由に触れ、「視野が狭いから客と接してもらう。」「国労ワッペン、リボンの着用など、国鉄当局の指示に反する行動を行い、これを組合員に対して指導した。」などと述べた。

しかしながら、品川派出所の勤務は、電車の運行中に生じた故障を現場に赴いて修理する作業が中心であって、本来、接客業務とは全く異質なものであり、客と接して視野を広げるという類のものではない。また、国労ワッペン、リボンの着用は組合活動そのものであって、これを理由に挙げるのは、本件命令が業務上の必要に基づくものではなく、組合活動に対する報復措置として行われた不当労働行為そのものであることを示すものである。

2 被告が主張する「品川派出所における車両検査係補充の必要性」の不合理性

被告は、後記のとおり、<1>旧品川電車区では、昭和六〇年一〇月一日当時、車両検査長の定員は一一名(うち一名は臨時定員)、現在員一三名で、二名の過員があったところ、翌年三月末には、四名の車両検査長の退職が見込まれ、逆に二名の欠員となることが予想されたことから、同年三月末に車両検査長を二名補充する必要性が生じていた、<2>旧品川電車区当局は、品川派出所在勤の車両検査係江口代助及び本区在勤で機動検査班に所属する車両検査係永島政雄の二名を車両検査長候補者に人選した、<3>そこで、旧品川電車区当局は、車両検査長候補者に対する養成教育には約三か月を要することや、従前、三月末の退職予定者は一月下旬から二月上旬にかけて残っている休暇を消化するため休み始めるのが通例であることから逆算して、昭和六〇年一一月から車両検査長候補者に対する養成教育に入ることとし、その必要上、昭和六〇年一一月一日付けで、江口に対して品川派出所から本区の機動検査班に、永島を機動検査班から交番検査グループに、それぞれ異動を命じた、<4>右の結果として、品川派出所では、車両検査係が一名欠員となり、江口の後任の車両検査係を補充する必要が生じた旨主張する。

しかしながら、次のとおり、右被告の主張は理由がない。

(一) 昭和六〇年一〇月一日当時、旧品川電車区の一三人の車両検査長のうち翌年三月末に満五五歳以上となるのは、地蔵安吉(昭和五年生れ)、高井峯松(昭和四年生れ)、丸山真(昭和三年生れ)、新井利雄(昭和二年生れ)の四名であったが、五五歳定年制の存在しない国鉄においては、三月末までに五五歳に達する職員が三月末に退職するか或いは引き続き在職するかは、事前に本人からの申出がない限り確定することができない。

そして、昭和六〇年一〇月一日当時、右四名の車両検査長のうち翌年三月末に退職することを申し出ていたのは、地蔵一名のみで、他の三名は退職の申出をしていなかったのであるから、昭和六〇年一〇月一日の時点で、右四名の退職が確定していたかのようにいうのは事実に反する。現に、地蔵を除く三名の車両検査長のうち、丸山は昭和六一年三月ではなく翌六二年三月末に退職しており、また、新井は昭和六一年三月三一日、高井は同年四月一日に、それぞれ退職しているが、その退職申出は、新井は同年二月下旬、高井は同年二月五日になってからであった。

このように、昭和六〇年一〇月一日の時点において、翌年三月末に四名の車両検査長の退職が見込まれていたわけではないのである。

(二) 従前、旧品川電車区では、車両検査長候補者については、車両検査長のもとで半月程度の見習いをするだけで、そのほかに、他のグループの職務を経験させることなどはなかった。また、本件の翌年である昭和六二年三月一〇日に車両検査長に発令された浅川仁、浅川泰澄、武笠正夫、神野昭、志村親廣についても、他のグループの職務を経験させることなどはしていない。

このように、本件の前後においては、車両検査長候補者に対して他のグループの職務を経験させることなどはしていないのであるから、殊更、永島、江口の両名についてのみ、他のグループの職務を経験させるなどの約三か月を要する特別の養成教育が必要であったというのは、極めて不自然であり、昭和六〇年一一月一日付けの本件命令によって原告を品川派出所に異動させたことと無理矢理辻褄を合せようとするものにほかならないのである。

このことは、右浅川仁、浅川泰澄の両名については、一〇年以上にわたって現場から離れ、技術管理室で事務的な業務に従事していたにもかかわらず、他のグループの職務を経験させることなどはしていない反面、一貫して現場の業務に従事していた江口、永島についてのみ、殊更に他のグループの職務を経験させるなどの特別の養育教育を必要としていることからも明らかである。

(三) 永島は昭和六〇年一一月一日から交番検査グループに、江口は同月一三日から機動検査班に、それぞれ実際に配属されているが、「検査作業日報」をみれば明らかなように、これは、各業務に本務として従事するために配置換えされたものであって、決して、車両検査長の養成教育の一環として配属されたものではない。

そもそも、車両検査長候補者の養成教育は、その期間中、本務から解放されて車両検査長のもとに配属され、各作業グループの全体について見習いを行うものである。養成教育の期間中、ある特定の作業だけを経験させるというのは養成教育の本旨に反する措置であり、まして、ある特定の作業グループに本務として配置換えするというのは、甚だしく養成教育の本旨に反する措置である。

(四) 以上のとおりであって、被告の主張する品川派出所における車両検査係補充の必要性なるものは、本件命令の合理性について無理矢理辻褄を合せるための方便に過ぎないものである。

3 被告が主張する「本件命令における人選について」の不合理性

被告は、後記のとおり、旧品川電車区の小林区長は、検修助役らと協議のうえ、江口の後任として品川派出所に配属される車両検査係について、<1>所要の技術力、判断力を備えていること、<2>同一のグループに長く所属していること、<3>一昼夜交替勤務を全ての検査係に経験させ、併せて勤務の公平化を図ること、という人選基準に基づいて人選を行ったところ、結局、原告と隅正男の二人が候補者として残ったが、原告と隅を対比すると、原告が、技術的に一番高度な検査を行う交番検査グループに長く所属し、しかも、隅が経験していない新型の二〇五系電車の検査も手掛けていて技術力、判断力において隅に優ると認められたことから、原告を対象者に人選した旨主張する。

しかしながら、次のとおり、右被告の主張は理由がない。

(一) 品川派出所の勤務者は、被告も認めているように、本線上を走行中の電車の故障に臨機に対処するというその業務の性質上、熟練の技術力、判断力を備えているものでなければならない。

そのため、従来から、交番検査だけでなく、少なくとも仕業検査を経験したうえで、品川派出所に配属されるのが通常であった。しかるに、原告は、従前、交番検査しか経験がなく、仕業検査の経験がないのに、いきなり品川派出所に配属されたもので、極めて異例な取扱いである。しかも、原告は、交番検査の中でもモーター関係は未経験であり、交番検査さえ全ての業務を経験していたわけではないのである。

このように、旧品川電車区長は、仕業検査を全く経験していないばかりか、交番検査についても全ての業務を経験しているわけではない原告に対して、熟練の技術力、判断力が要求される品川派出所勤務をいきなり命じているのであって、本件命令における人選の不自然さは明白である。

(二) 旧品川電車区には、本件命令当時、品川派出所の勤務者が欠勤した場合に、直ちに代務要員となれるよう特別の養成教育を受けた職員が一二名程いた。技術力、判断力という被告の主張する人選基準からすれば、右のような特別の養成教育を受けた者を江口の後任として品川派出所に配属される車両検査係に人選するのが自然であり、現に、昭和六一年三月初旬に品川派出所勤務の車両検査係であった滝沢弘が退職した際には、右特別の養成教育を了していた広瀬茂里を同人の後任に充てている。

しかるに、右特別の養成教育を了している一二名程の者の中からではなく、前述のとおり、仕業検査を全く経験していないばかりか、交番検査についても全ての業務を経験しているわけではない原告を江口の後任に人選したのであって、技術力、判断力という被告が主張する人選基準に適合しないことは明らかであり、恣意的かつ不自然な人選としかいいようがない。

なお、江口自身も、自分の後任が原告であることを知って驚き、そのような人選は業務の常識からいって到底理解できず、原告では品川派出所の勤務は無理である旨を旧品川電車区当局に強く申し入れているのであって、この事実によっても、原告が人選されたことの不自然さが裏付けられる。

(三) 原告は、通算して六年余り交番検査グループに所属しているが、これは途切れ途切れのものであるうえ、同一グループの勤務としては、原告よりも長い職員が他にもいたのであって、原告だけが特に長いわけではない。

(四) 以上のように、原告が江口の後任として品川派出所に配属される車両検査係に人選されたのは、極めて不合理であって、不自然かつ恣意的な人選としかいいようがなく、原告に対して品川派出所への異動を命じた本件命令が、とにかく原告を本区に置いておきたくないという国鉄当局の意図に基づくものであることは明らかである。

4 本件命令における手続違反

のみならず、本件命令は、次のとおり、旧品川電車区における従来からの配転に関する慣行に反するものであった。

(一) 旧品川電車区における車両検査係の配転ルール違反

旧品川電車区では、例年、労使間の現場協議において協議された実施方法に基づいて車両検査係の配転が実施されてきたが、それによると、車両検査係の異動は、三か月に一度の割合(一月、四月、七月、一〇月)で、交番検査、台車検査、仕業検査、臨時検査、機動検査班などに、順次一定の順番に従って一定の人数を配置換えする慣行となっており、この途中の時期に配転を命じられることはなかった。

しかるに、本件命令は、右慣行に基づく一〇月の配転が実施された直後に、突如として発せられたのであって、右慣行に反するものである。

(二) 品川派出所への配転手続違反

品川派出所への配転は、徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務が常態であること(同派出所には六名が配置されているが、毎日二名ずつが出勤して一昼夜にわたる業務を行う。)や、本線上の故障に対処するため一定の技術力、判断力が要求されるという、その勤務形態や業務内容の特殊性から、必ず事前に希望者を募り、本人の同意を得て行われる慣行となっていた。

しかるに、本件命令は、なんら希望者を募ることなく、かつ、事前に原告本人の同意を得ることもなく、突如一方的に発せられたのであって、右慣行に反するものである。

5 原告が本件命令によって被った不利益

(一) 組合活動上の不利益

原告は、前記のとおり、長年にわたって分会の役員を務め、分会活動の中心を担ってきた者であり、本件命令当時も分会執行委員長の地位にあった。

しかるに、原告は、本件命令により組合事務所があって分会の組合活動の本拠となっていた本区から離れ、しかも、配置人員が六名で一日二名の職員しかいない品川派出所に配置されたことから、他の組合員との接触の機会を大幅に奪われ、いわば島流し同然で他の組合員と隔離された状態に置かれたほか、前記のとおり、品川派出所では一昼夜交替の勤務が常態のため、夜間に開かれることが多い分会の会議にも勤務日は全く出席できなくなり、また、慣れない仕事のため、組合活動に打込む精神的余裕もない状況に置かれてしまった。特に、本件命令当時は、国鉄の分割民営化に向けた動きが次第に具体化していく中で、旧品川電車区においても、労使の対立が先鋭化してきており、当局による車両検査長に対する国労脱退攻撃や、国労組合員に対する激しい国労バッジ取り外し攻撃など、分会の執行委員長たる原告の判断による対応を迫られる事態が次々に生起していた。

右のように、分会の組織維持のためにはいわば一か月が一年にも相当する重大な時期に、分会の中心的な立場にあった原告は、本件命令によって、組合活動上重大な支障を被り、併せて分会自体も、組合活動上大きな支障を受けざるを得なかったのである。

(二) 生活上の不利益

品川派出所の勤務形態は、前記のとおり、原告には経験のない徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務であり、突如このような勤務に就くことを命ぜられた原告は、生活設計に重大な不利益を被った。

6 本件命令の真の理由

(一) 分会は、従来から、国労東京地方本部の拠点の一つとして組合活動が活発で、特に、政府・財界の意を受けた国鉄の分割民営化の動向が具体化してきていた時期においては、国民のために公共企業体としての国鉄を存続させ、国鉄労働者の権利を守る立場から、分割民営化に反対する組合活動を発展させてきた。そして、原告は、分会の役員を歴任し、その中心的存在として、一貫して積極的な組合活動を行ってきたのである。

(二) 国鉄は、分割民営化を強行するため、これに反対する国労の団結と活動を職場から排除しようとして、組合活動の中心的立場にあった原告に対し、その組合活動のゆえに不利益を強いると共に、分会の団結の弱体化を狙って本件命令を行ったのである。これこそが、本件命令の真の理由にほかならない。

7 以上、詳述したとおり、本件命令は、労働組合法七条一号、三号所定の不当労働行為に該当し、原告に対する不法行為を構成する。

原告は、右不法行為によって前記5のような組合活動上及び生活上の重大な不利益を受け、精神的苦痛を被ったもので、これを慰謝するには金五〇万円が相当である。

(被告の主張)

1 山手電車区について

山手電車区は、東京南鉄道管理局(以下「南鉄局」という。)の管轄下にある現業機関であって、山手線などを走行する電車について、その使用状況に応じて、検査、修繕などを行うことを業務としている。

山手電車区の組織は、大別して、検修、構内、事務の三部門に分かれ、このうち検修部門は、仕業検査、交番検査、機動検査班、技術管理室、品川派出所の五つのグループに分かれている。なお、旧品川電車区時代には、右のほかに運転部門もあったが、昭和六〇年一一月一日付けの組織改正で分離されて品川運転区となった。

2 品川派出所における車両検査係補充の必要性について

(一) 車両検査長補充の必要性

旧品川電車区では、昭和六〇年一〇月一日当時、車両検査長の定員は一一名(うち一名は臨時定員)、現在員一三名で、二名の過員があった。しかしながら、従前、退職者の多くが当時の特別退職制度(国鉄と国労との間の労働協約である「特別退職に関する協定」に基づくもので、満五五歳以上が対象者となる。)の対象者から出ていたことや、国家公務員等共済組合法の改正によって、昭和六一年四月一日以降の退職者については、同年三月末までの退職者に比して年金の支給額が少なくなるという特殊事情があったことなどから、同年三月末には、車両検査長のうち、その時点で満五五歳以上となる地蔵安吉(昭和五年生れ)、高井峯松(昭和四年生れ)、丸山真(昭和三年生れ)、新井利雄(昭和二年生れ)の四名の退職者が見込まれていた(地蔵は、昭和六〇年の初めに退職の意思を表明し、新井、丸山の両名は、退職を前提とした会社訪問を行い、また、高井は、退職手当や年金等の条件を具体的に把握した時点で退職について判断したい旨述べていた。)。

このように、旧品川電車区では、昭和六〇年一〇月一日当時、車両検査長が二名過員であったが、その当時において既に、翌年三月末には、四名の車両検査長の退職が見込まれ、逆に二名欠員となることが予想されたことから、昭和六〇年一〇月一日当時において、翌年三月末に車両検査長を二名補充する必要性が生じていたのである。

(二) 車両検査長候補者の選任

(1) 車両検査長については、従前、一〇日から半月位の期間の車両検査長見習いを行うほかは、格別の養成教育は行われていなかった。

しかしながら、昭和五九年八月、国鉄再建監理委員会は、一般職員に対する職業人としての自覚の保持とコスト意識の喚起を目指した教育を充実すること等により、企業への帰属意識と職場改善意欲の高揚を図ると共に、現場における技術上の知識が円滑に承継される素地を形成する必要がある旨提言し、国鉄当局に対し、当面緊急に措置すべき事項の一つとして右職員教育の実施を求めた。

(2) 南鉄局は、右(1)の国鉄再建監理委員会の要請や、昭和六〇年七月に出された国鉄再建監理委員会の最終意見などが背景となった昭和六〇年度経営計画において、管内の車両検査長らを、分割民営化を実施する昭和六二年四月に向け、鉄道事業としての存続の鍵を握る中間管理職=フォアマンと位置付け、これに基づき、昭和六〇年一一月から車両検査長候補者に対する養成教育を行うことを計画し、その実施を現業機関や鉄道学園などに求めた。

右で計画された養成教育の内容は、従来から行われている車両検査長見習いに加えて、新たに、<1>学園教育(東京南鉄道学園入所)、<2>管理者らによる個別教育、<3>未経験分野の技術修得、<4>他企業見学などを行うというものであった。

(3) 昭和六〇年一〇月中旬、南鉄局は、旧品川電車区に対して、右養成計画の一環である車両検査長候補者の東京南鉄道学園入所計画を正式に通知すると共に、車両検査長候補者の氏名・経歴などの報告を求めた。

そこで、旧品川電車区当局では、前述のとおり、昭和六一年三月末の時点で車両検査長を二名補充する必要があると見込まれたことから、車両検査長らの意見を聴取したうえ、人格、技術力、指導力、統率力、業務意欲などの諸点を考慮して、品川派出所在勤の車両検査係江口代助及び本区在勤で機動検査班に所属する車両検査係永島政雄の二名を車両検査長候補者に人選した。

(三) 車両検査長候補者の養成教育のための職場異動と、それに伴う品川派出所における車両検査係補充の必要性

旧品川電車区当局は、車両検査長候補者に対する前記二(2)の養成教育には約三か月を要することや、従前、三月末の退職予定者は一月下旬から二月上旬にかけて残っている休暇を消化するため休み始めるのが通例であることから逆算して、昭和六〇年一一月から車両検査長候補者に対する養成教育に入ることとし、その便宜上、昭和六〇年一一月一日付けで、江口に対して品川派出所から本区の機動検査班に、永島に対して機動検査班から交番検査グループに、それぞれ異動を命じた。なお、江口は、同人の後任である原告について品川派出所勤務に必要な教育、実習を行う必要があった関係上、実際に本区の機動検査班に異動したのは同年一一月一三日であった。

そのため、品川派出所では、車両検査係が一名欠員となり、江口の後任の車両検査係を補充する必要が生じた。

(四) 以上のとおりであって、品川派出所においては、車両検査長候補者に対する養成教育のための職場異動として、昭和六〇年一一月一日付けで、江口が品川派出所の車両検査係から本区の機動検査班に異動したことに伴い、江口の後任の車両検査係を補充する必要が生じたのである。

3 本件命令における人選について

(一) 人選基準

旧品川電車区当局では、小林区長と検修助役らが協議のうえ、品川派出所における江口の後任の車両検査係について、次のような基準により人選を行った。

(1) 所要の技術力、判断力を備えていること。

本線上を走行中の電車の故障に対処するという業務の性質上、品川派出所の勤務者には、走行中の電車に添乗して所要の補修をなし、或いは、運行不能の判断を含む臨機の処置を採ることができるだけの技術力、判断力が要求された。

(2) 同一のグループに長く所属していること。

同一の職場に長くいると技術力が片寄ることから、全てのグループの仕事を経験させ、どこのグループの仕事もこなすことができるようにし、併せて技術力の平準化、レベルアップを図る必要があった。

(3) 一昼夜交替勤務を全ての検査係に経験、習得させること。

全ての検査係に一昼夜交替勤務を経験させて、必要な技術習得をさせると共に、勤務の公平化を図る必要があった。

(二) 右人選基準に基づく原告の人選

旧品川電車区当局では、右人選基準に基づき、江口の後任として品川派出所に配属される車両検査係の人選を行ったところ、基準に該当する者が九名いたが、そのうち六名は健康上の理由で一昼夜交替勤務(徹夜勤務)に耐えられず、残り三名のうち一名は、ATC検査を担当する特殊技術者であるため異動させることができず、結局、原告と隅正男の二人が候補者として残った。

そして、原告と隅を対比すると、原告が、技術的に一番高度な検査を行う交番検査グループに長く所属し、しかも、隅が経験していない新型の二〇五系電車の検査も手掛けていて技術力、判断力において隅に優ると認められたことから、旧品川電車区当局では、原告を対象者に人選した。

4 原告の主張する本件命令の不利益性について

(一) 原告は、前記のとおり、原告は分会の中心的な立場にあったが、本件命令により、他の組合員との接触の機会を大幅に奪われ、いわば島流し同然の隔離された状態に置かれたほか、品川派出所では徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務が常態のため、夜間に開かれることが多い分会の会議にも勤務日は全く出席できなくなるなど組合活動上重大な支障を被り、併せて分会自体も、組合活動上大きな支障を受けざるを得なかった旨主張する。

しかしながら、本区と品川派出所とは時間的に一五分程度しか離れておらず、容易に往来することができるうえ、品川派出所には分会事務所にも通じる鉄道電話が設置されており、原告は、この電話を使用して本区にいる分会役員と組合業務の打ち合せを行っていたほか、公休日や非番日には、本区に出向いて組合員と直接に接触し、或いは、分会役員と組合業務の打ち合せなどを行っていたのである。また、原告は、本件命令の一か月半後の昭和六〇年一二月一五日に開催された分会大会で、分会執行委員長を退任し、その後は、同年一一月に就任した国労東京地方本部電車協議会副議長の職に専念していたところ、右副議長として国労東京地本と南鉄局との団体交渉に出席する場合には、勤務開放されたうえ、いわゆる有給欠勤の取扱いを受けていたのであるから、原告の右主張が理由がないことは明らかである。

(二) 原告は、前記のとおり、品川派出所の勤務形態は、原告には経験のない徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務であり、突如このような勤務に就くこととなったことから、生活設計に重大な不利益を被った旨主張する。

しかしながら、車両検査係の職務には一昼夜交替勤務も当然含まれているのであって、山手電車区に所属する車両検査係は、健康上の理由で勤務に耐えられないなどの特段の事情のない限り、いずれもこれを経験しているのである。

また、一昼夜交替勤務といっても、連続勤務ではなく、公休日、特別非番日等の組合せによる勤務であって、決して苛酷なものではなく、現に、昭和五九年六月頃、仕業検査グループでは一昼夜交替勤務の希望者が在籍者の五〇パーセントを越えるという事態さえ生じたのであり、このように一昼夜交替勤務の希望者が多いことからみても、一昼夜交替勤務に就くこと自体が苛酷であるとか、不利益であるということにはならない。

更に、原告は、本件命令に伴い、住居の移転を必要としなかったことはもちろん、通勤に要する時間も、往復で従来より約三〇分短縮されたほか、各種手当てが支給されるようになって、収入も増加しているのである。

以上のとおりであって、原告の右主張は理由がない。

5 以上、詳述したとおり、本件命令は、業務上の必要性と公正な人選に基づくもので、しかも、組合活動上も、生活上も、原告に対してなんら不利益を与えるものではないから、それが不当労働行為を構成する謂われはなく、したがってまた、なんら違法性を帯びるものではない。

第二争点についての判断

一  山手電車区について

いずれも成立に争いがない(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

1  山手電車区は、南鉄局の管轄下にある現業機関であって、山手線などを走行する電車の使用状況に応じて、検査、修繕などを行うことを業務としており、その組織は、大別して、検修、構内、事務の三部門に分かれている。

なお、前記のとおり、旧品川電車区当時には、右の三部門のほかに運転部門も置かれていたが、昭和六〇年一一月一日付けの組織改正で運転部門が分離されて品川運転区となり、それに伴って山手電車区に名称が変更された。

2  右三部門のうち、検修部門は、仕業検査、交番検査、機動検査班、技術管理室、品川派出所の五つのグループに分かれており、その業務内容などは次のとおりである。

(一) 仕業検査

仕業検査を行うグループで、その勤務形態は徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務である。

仕業検査とは、四八時間ごとに実施される検査で、パンタグラフの擦り板などの消耗品の交換を主として行うほか、電気・ブレーキなどの各種装置及び車体などの状態や作用について、機器の外部から触手や視認などによって、検査・点検を行うものである。

(二) 交番検査

交番検査業務を行うグループで、勤務形態は日勤である。

交番検査とは、六〇日又は三万キロメートル走行ごとに実施される電車区では最高の検査で、電気・ブレーキなどの各種装置全般及び車体などの状態や作用、機能について、機器の覆いを外して内部的な検査・点検を行うほか、電気関係の清掃、絶縁抵抗の測定などを行うものである。

(三) 機動検査班

機動検査業務を行うグループで、勤務形態は日勤である。

機動検査とは、故障又はそのおそれがある場合、事故が発生した場合などに、必要に応じて検査或いは修理を行うものである。

(四) 品川派出所

本線上を走行中の電車の故障に対処して応急措置を施すことを主たる業務とするグループで、勤務形態は、前記のとおり、徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務である。

業務内容には、電車のモーター・制御機器などの故障の修繕及び運行の不能の判断、ドアの開閉不良の修繕、窓ガラス破損の仮修繕、行先表示器の修繕、前照灯・室内灯の球切れ取替え、冷暖房装置・放送装置などの故障の補修、死傷事故の際の点検、警戒添乗などがある。

品川派出所には、六名の車両検査係が配属されており、毎日、このうちの二名が出勤して午前八時三〇分から翌日午前八時三〇分までの一昼夜交替勤務に就いている。

なお、品川派出所の詰所は、前記のとおり、山手電車区本区から離れた品川駅構内に置かれている。

(五) 技術管理室

車両の運用・管理・統計、故障の調査、業務指導などの技術管理業務を行うグループで、勤務形態は日勤である。

3  検修部門における指揮命令系統は、上から順に、電車区長、助役、車両検査長、車両検査係、車両検修係となる。

二  本件命令の業務上の必要性について

1  一般に、使用者は、不当な動機・目的をもってされるとか又は労働者に対して通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるなどの特段の事情がない限り、業務上の必要性に応じ、その裁量に基づいて労働者の勤務の場所及びその態様を決定することができるが、これらの場合には、余人をもっては容易に代え難いといった高度の必要性がなくとも、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤労意欲の高揚、業務運営の円滑化などの企業の合理的運営に寄与する点が認められれば足りると解すべきであり、この趣旨は、公共企業体である国鉄にも妥当するものというべきである。

2  品川派出所における車両検査係補充の必要性

(一) 車両検査長二名を補充するための措置を講じる必要性

(1) (証拠略)の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

<1> 昭和六〇年一〇月一日当時、旧品川電車区の車両検査長は、定員一一名(うち一名は臨時定員)、現在員一三名で、二名の過員があった。

なお、同年一一月一日付けの組織改正で運転部門が分離されて品川運転区となることに伴い、車両検査長についても、運転部門の定員一名、現在員一名(工場派出所属の野口邦夫)が品川運転区に移管され、山手電車区の車両検査長は、定員一〇名(うち一名は臨時定員)、現在員一二名となることとなっていたが、やはり二名の過員があった。

<2> ところで、昭和六〇年四月、国鉄と国労の間で、年度末(国鉄の年度は四月一日から翌年三月三一日までである。)までに満五五歳以上となる者などが年度末に勧奨を受けて退職する場合の優遇措置を定めた労働協約である「特別退職に関する協定」(以下「特退協定」という。)が締結されたことや、国家公務員等共済組合法の改正によって、昭和六一年四月一日以降の退職者については、同年三月末までの退職者に比して年金の支給額が少なくなるという特殊事情があったことから、昭和六〇年度末である昭和六一年三月末には、右特退協定の対象者の大量退職が見込まれた。

<3> そして、昭和六〇年一〇月一日当時、同年一一月一日付けの組織改正で品川運転区への移管が予定されていた一名を除く旧品川電車区の車両検査長二名のうち、地蔵安吉(昭和六一年三月末の時点で満五五歳)、高井峯松(同じく五六歳)、丸山真(同じく五六歳)、新井利雄(同じく五七歳)の四名が右特退協定の対象者となっており、これら四名の車両検査長が昭和六一年三月末の時点で退職することが見込まれた。

(2) 右の事実によれば、昭和六〇年一〇月一日当時、旧品川電車区では、車両検査長が二名過員であり、同年一一月一日付け組織改正後の山手電車区においても同じ状態が続くこととなっていたが、同年一〇月一日当時、右組織改正で品川運転区への移管が予定されていた一名を除く車両検査長一二名のうち、四名が昭和六一年三月末の時点で退職することが見込まれたのであるから、旧品川電車区では、昭和六〇年一〇月一日の時点において、翌年三月末には車両検査長が逆に二名欠員となることが予想され、したがって、車両検査長を二名補充するための措置を講じる必要性が生じていたことになる。

(二) 車両検査長候補者の選任

成立に争いがない(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(1) 旧品川電車区では、従前、車両検査長について、一〇日から半月程度の担務見習いをするほかは、格別の養成教育は行われていなかった。

(2) しかるに、国鉄再建監理委員会は、昭和五九年八月、一般職員に対する職業人としての自覚の保持とコスト意識の喚起を目指した教育を充実すること等により、企業への帰属意識と職場改善意欲の高揚を図ると共に、現場における技術上の知識が円滑に承継される素地を形成する必要がある旨提言し、国鉄当局に対し、当面緊急に措置すべき事項の一つとして右職員教育の実施を求め、また、昭和六〇年七月、全国一元の公社組織を廃止して、国鉄を分割民営化する最終意見を出した。そこで、南鉄局は、これらの背景のもとで策定された昭和六〇年度経営計画において、管内の車両検査長らを、分割民営化を実施する昭和六二年四月に向け、鉄道事業としての存続の鍵を握る中間管理職=フォアマンと位置付け、これに基づき、昭和六〇年度から車両検査長候補者に対する養成教育を行うことを計画し、その実施を現業機関や鉄道学園などに求めた。

右のようにして計画された養成教育の内容は、従来から行われている車両検査長の担務見習いに加えて、新たに、<1>学園教育(東京南鉄道学園入所)、<2>管理者らによる個別教育、<3>未経験分野の技術習得、<4>他企業見学などを行うというものであった。

(3) 昭和六〇年一〇月中旬、南鉄局は、旧品川電車区に対して、右養成計画の一環である車両検査長候補者の東京南鉄道学園入所計画を正式に通知すると共に、車両検査長候補者の氏名・経歴などを報告するよう求めた。

(4) 旧品川電車区当局では、前記(一)のとおり、昭和六一年三月末の時点で車両検査長を二名補充する必要があると見込まれたことから、その候補者二名を選任することとし、車両検査長らの意見を聴取したうえ、人格、技術力、指導力、統率力、業務意欲などの諸点を考慮して、品川派出所に所属する車両検査係江口代助及び機動検査班に所属する車両検査係永島政雄の二名を車両検査長候補者に人選し、その旨を南鉄局に報告した。

(三) 車両検査長候補者に対する養成教育のための職場異動と、それに伴う品川派出所における車両検査係補充の必要性

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(1) 旧品川電車区当局は、昭和六〇年度から実施することとなった前記(二)の車両検査長候補者に対する養成教育には約三か月を要すると見込んだうえで、従前、年度末の退職予定者は残っている休暇を消化するため一月下旬から二月上旬にかけて休み始めるのが通例であることから、昭和六一年一月末には養成教育を終了している必要があるものと逆算し、昭和六〇年一一月一日から車両検査長候補者に対する養成教育に入ることとした。

(2) そして、旧品川電車区では、養成教育の一環である未経験分野の技術習得教育を行うため、昭和六〇年一一月一日付けで、江口に対して品川派出所から機動検査班に、永島に対して機動検査班から交番検査に、それぞれ異動を命じた。

もっとも、永島は同月一日に実際に交番検査に異動したが、江口は、同人の後任である原告について品川派出所勤務に伴う所要の養成教育を行う必要があった関係上、実際に機動検査班に異動したのは同月一三日であった。

(3) このようにして、品川派出所では、車両検査係が一名欠員となり、江口の後任の車両検査係を補充する必要が生じた。

(四) 以上(一)ないし(三)に認定・説示したところによれば、旧品川電車区では、品川派出所所属の車両検査係である江口を車両検査長候補者に選任し、その養成教育を行う必要上、昭和六〇年一一月一日付けで機動検査班への異動を命じたことに伴い、品川派出所に江口の後任である車両検査係を補充する必要性が生じたものということができる。

(五) この点について、原告は、<1>昭和六〇年一〇月一日当時、旧品川電車区の車両検査長のうち翌年三月末において満五五歳以上となるのは、地蔵、高井、丸山、新井の四名であったが、五五歳定年制の存在しない国鉄では、五五歳に達する職員が退職するか或いは引き続き在職するかは、事前に本人から申出のない限り確定することができないところ、当時、右四名の車両検査長のうちで退職することを申し出ていたのは、地蔵一名のみであったから、昭和六〇年一〇月一日の時点で、右四名の退職が確定していたかのようにいうのは事実に反する、現に丸山は、昭和六一年三月ではなく翌六二年の三月末に退職している、<2>従前、旧品川電車区では、車両検査長候補者について、半月程度の見習いをするだけで、他のグループの職務を経験させることなどはしておらず、また、本件の翌年度においても、他のグループの職務を経験させることなどはしていないのであるから、永島、江口についてのみ、殊更、他のグループの職務を経験させるなどの約三か月を要する特別の養成教育が必要であったとするのは、極めて不自然であり、昭和六〇年一一月一日付けの本件命令によって原告を品川派出所に異動させたことと無理矢理辻褄を合せようとするものにほかならない、このことは、昭和六二年三月に車両検査長に任命された浅川仁、浅川泰澄の両名については、一〇年以上にわたって現場から離れ事務的な業務に従事していたにもかかわらず、他のグループの職務を経験させることなどはしていない反面、一貫して現場の業務に従事していて特別な養成教育が必要とも思われない江口、永島についてのみ、殊更に他のグループの職務を経験させるなどの特別の養成教育を必要としていることからも明らかである、<3>永島は昭和六〇年一一月一日から交番検査グループに、江口は同月一三日から機動検査班に、それぞれ実際に配属されたが、これは、各業務に本務として従事するためのものであって、決して車両検査長の養成教育の一環としてのものではない、車両検査長候補者の養成教育は、その期間中、本務から解放されて車両検査長のもとに配属され、各作業グループの全体について見習いを行うものであるから、養成教育の期間中、ある特定の作業グループに本務として配属するというのは、甚だしく養成教育の本旨に反する措置である、<4>以上のとおりであって、被告の主張する品川派出所における車両検査係補充の必要性なるものは、本件命令の合理性について無理矢理辻褄を合せるための方便に過ぎないことが明らかである旨主張する。

しかしながら、次のとおり、原告の右主張は採用することができない。

(1) 証人山本幸司及び同北野隆(第一回)の各証言によれば、確かに、昭和六〇年一〇月一日の時点で、同年の年度末において特退協定の対象となる地蔵、高井、丸山、新井の四名の車両検査長のうち、昭和六一年三月末に退職することを旧品川電車区当局に正式に申し出ていたのは地蔵一名のみであったことが認められる。

しかしながら、昭和六〇年四月、国鉄と国労の間で年度末までに満五五歳以上となる者などが退職する場合の優遇措置を定めた特退協定が締結されたことや、国家公務員等共済組合法の改正によって、昭和六一年四月一日以降の退職者については、同年三月末までの退職者に比して年金の支給額が少なくなるという特殊事情があったことから、昭和六〇年の年度末である昭和六一年三月末には、特退協定の対象者の大量退職が見込まれたという前記認定の事実に加えて、証人山本幸司及び同北野隆(第一回)の各証言によれば、<1>新井については、昭和五九年度末(昭和六〇年三月末)に退職したいという意向であったのを、同人が新型の二〇五系電車の導入に伴う指導教育のチーフの任にあったことから、旧品川電車区当局が慰留して退職を延ばしたという経緯があったほか、昭和六〇年九月か一〇月頃、旧品川電車区当局が就職先として紹介した会社を訪問していたこと、<2>丸山については、早くから、旧品川電車区当局に対して、良い就職口があったら退職したいので世話して欲しい旨申し出ており、旧品川電車区当局が就職先として紹介した会社を訪問していたこと、<3>高井については、昭和六〇年九月頃、旧品川電車区当局の意向打診に対して、就職は自分で探すので心配ないが、特退協定による退職の場合の条件をはっきり把握した時点で退職について判断する旨返答していたことが認められる。

そして、これらの事実によれば、昭和六〇年一〇月一日当時、退職することを旧品川電車区当局に正式に申し出ていたのが地蔵一名のみであったとしても、要員確保に責任を負う旧品川電車区当局が、その時点において、翌年三月末には特退協定の対象者四名の車両検査長が全員退職して二名の欠員となると見込んだのは無理からぬところであって、充分に肯定し得る対応であるということができる。

事実(証拠略)によれば、山手電車区全体では、昭和六〇年の年度末に、特退協定の対象者一六名のうち一四名が退職し、前記の四名の車両検査長については、丸山を除く三名が退職していることが認められるのであって、この事実によっても、旧品川電車区当局が、正式に退職を申し出ていない者を含む四名の車両検査長全員が退職すると見込んだのは適切であったことが裏付けられる。

(2) 次に、旧品川電車区では、従前、車両検査長について、一〇日から半月程度の担務見習いをするだけで、ほかには格別の養成教育を行っていなかったことは、前記認定のとおりである。しかしながら、国鉄再建監理委員会が、昭和五九年八月、一般職員に対する職業人としての自覚の保持とコスト意識の喚起を目指した教育を充実すること等により、企業への帰属意識と職場改善意欲の高揚を図ると共に、現場における技術上の知識が円滑に承継される素地を形成する必要がある旨提言し、国鉄当局に対し、当面緊急に措置すべき事項の一つとして右職員教育の実施を求めたことや、昭和六〇年七月、全国一元の公社組織を廃止して、国鉄を分割民営化する最終意見を出したことから、南鉄局は、これらの背景の中で策定された経営計画において、管内の車両検査長らを、分割民営化を実施する昭和六二年四月に向け、鉄道事業としての存続の鍵を握る中間管理職=フォアマンと位置付け、これに基づき、昭和六〇年度から車両検査長候補者に対する養成教育を行うことを計画し、その実施を現業機関や、鉄道学園などに求めたことは、前記認定のとおりであるから、昭和五九年度以前においては格別の養成教育が行われていなかったからといって、昭和六〇年度から新たな内容の養成教育を開始したことを不自然或いは不合理なものということはできない。

また、(証拠略)によれば、昭和六一年度においても、七名の車両検査長候補者に対して、六〇年度には行われなかった一か月間の非現業体験教育を含む養成教育が実施されたことが認められるのであって、このように、昭和六〇年度に引き続き六一年度においても養成教育が行われているのであるから、昭和六〇年度についてのみ殊更に特別の養成教育を行ったというものではない。

もっとも、(証拠略)によれば、昭和六〇年度に行われた未経験分野の技術習得教育が六一年度には行われていないことが認められるが、証人北野隆(第二回)の証言によれば、これは、昭和六一年度の車両検査長候補者七名が、長年にわたり技術管理室に所属し事務的な業務に従事していた浅川仁、浅川泰澄の両名を含めて、全員が技術力が高く、未経験分野もなく、その必要がなかったことによるものであることが認められ、加えて、どのような制度にも多少の試行錯誤はあり得るもので、殊に、車両検査長候補長に対する養成教育が昭和六〇年度に開始されたばかりであることをも併せ勘案すると、昭和六〇年度と六一年度の教育内容に、右程度の違いがあったとしても、不自然とはいえない。

(3) 旧品川電車区では、養成教育の一環である未経験分野の技術習得教育を行うため、昭和六〇年一一月一日付けで、江口に対して品川派出所から機動検査班に、永島に対して機動検査班から交番検査グループに、それぞれ異動を命じたこと、そして、永島に同日に実際に交番検査に異動したが、江口は、同人の後任である原告について品川派出所勤務に伴う所要の養成教育を行う必要があった関係上、実際に機動検査班に異動したのは同月一三日であったことは、前記認定のとおりである。

そして、いずれも(証拠略)によれば、<1>永島を未経験分野の技術習得教育のため交番検査に配属したのは、永島が、昭和五九年の検修近代化実施後の検査業務や、新たに導入された二〇五系電車の検査業務について全く未経験であったことから、これらの新しい交番検査業務に習熟させる必要があったことによるものであること、<2>現に、永島の交番検査における実際の勤務をみると、その一部ではあるが、昭和六〇年一一月五日、六日、七日、八日、九日には、担務見習いとして交番検査の現車訓練を受け、その後の同月二〇日、二一日、二二日、二五日には、本務として交番検査の業務に従事するなど、所要の技術習得を行っていること、<3>江口を未経験分野の技術習得教育のため機動検査班に配属したのは、江口が、検修近代化の実施による機動検査班の業務の変更部分、特に、新たに導入された民間委託業務、引取業務について全く未経験であったことから、これに習熟させる必要があったほか、機動検査班の業務には繁閑の波があることから、業務の余裕のあるときに、やはり江口が未経験であった検修近代化実施後の交番検査業務や、二〇五系電車の交番検査業務を経験させることにあったこと、<4>現に、江口の機動検査班における実際の勤務をみると、その一部ではあるが、昭和六〇年一一月一四日、一五日、一八日、一九日、二〇日に本務として機動検査班の業務に従事したほか、交番検査業務の担務見習いを二回程行うなど、所要の技術習得を行っていること、<5>ところで、江口の場合には、永島と異なり、現車訓練のような担務見習いを行っていないが、これは、交番検査の場合は、担務者が個々に決まっていて技術的にも高度という業務の性質上、担務見習いを行ってからでなければ本務に就けないのに対して、機動検査の場合は、集団的に作業するという業務形態上、担務見習いという形式に馴染まないためであること、以上の事実が認められる。

右事実によれば、永島が交番検査において、江口が機動検査班において、それぞれ各業務に本務として就いたからといって、それが養成教育の一環である未経験分野の技術習得教育のために配属されたことと矛盾するものではなく、また、それが養成教育の本旨に反するものでもないというべきである。

3  本件命令における人選について

(一) 証人山本幸司及び同北野隆(第一回)の各証言によれば、次の事実が認められる。

(1) 旧品川電車区当局では、品川派出所における江口の後任の車両検査係について、次のような基準により人選を行った。

<1> 所要の技術力、判断力を備えていること。

本線上を走行中の電車の故障に対処するという業務の性質上、品川派出所の勤務者には、走行中の電車に添乗して必要な補修をなし、或いは、運行不能の判断を含む臨機の処置を採ることができるだけの技術力、判断力が要求された。

<2> 同一のグループに長く所属していること。

同一の職場に長くいると技術力が片寄ることから、全てのグループの仕事を経験させて、どのグループの仕事もこなすことができるようにすると共に、技術力の平準化、レベルアップを図る必要があった。

<3> 一昼夜交替勤務を全ての検査係に経験させること。

全ての検査係に一昼夜交替勤務を経験させて、必要な技術習得をさせると共に、勤務の公平化を図る必要があった。

(2) 旧品川電車区当局では、右人選基準に基づき、江口の後任として品川派出所に配属される車両検査係の人選を行ったところ、基準に該当する者が九名いたが、そのうち六名は健康上の理由で一昼夜交替勤務に耐えられず、残り三名のうち一名は、ATC検査を担当する特殊技術者であるため異動させることができず、結局、原告と隅正男(当時は分会の副委員長であった。)の二人が候補者として残った。

そして、原告と隅を対比すると、原告が、技術的に一番高度な検査を行う交番検査グループに長く所属し、しかも、隅が経験していない新型の二〇五系電車の業務も手掛けていて技術力、判断力において隅に優ると認められたことから、旧品川電車区当局では、原告を対象者に人選した。

(二) 右(一)の事実によれば、原告を江口の後任の車両検査係として品川派出所に配属することには、労働力の適正配置、業務運営の円滑化などの企業の合理的運営に寄与する点があると認められるから、江口の後任として原告を人選したことには、充分な合理性が認められるというべきである。

証人隅正男の証言によれば、原告は、品川派出所に配属されてから後、技術力や判断力の不足のために業務遂行に困難を来したということもなかったことが認められるが、この事実によっても、原告を人選したことの合理性が裏付けられるところである。

(三) この点について、原告は、<1>品川派出所の勤務者は、その業務の性質上、熟練の技術力、判断力を備えている必要があり、従来から、交番検査だけでなく仕業検査も経験したうえで配属されるのが通常であったが、原告は、それまでは、交番検査を経験したのみで、仕業検査の経験はなく、しかも、交番検査の中でもモーター関係は未経験であって、交番検査さえ全ての業務を経験していたわけではないのに、いきなり品川派出所に配属されたもので、本件命令における人選の不自然さは明白である、<2>旧品川電車区には、本件命令当時、品川派出所の勤務者が欠勤した場合に、直ちに代務要員となれるよう特別の養成教育を受けた職員が一二名程いたのであるから、技術力、判断力という被告の主張する人選基準からすれば、右のような特別の養成教育を受けた者を江口の後任に人選するのが自然であり、現に、昭和六一年三月初旬、品川派出所勤務の車両検査係であった滝沢弘が退職した際には、右特別の養成教育を了していた広瀬茂里を同人の後任に充てている、<3>原告は、通算して六年余り交番検査グループに所属しているが、これは途切れ途切れのものであるうえ、同一グループの勤務としては原告よりも長い職員がほかにもいたのであって、原告だけが特に長いわけではない、<4>以上のように、江口の後任として原告が人選されたのは極めて不自然であって、不合理かつ恣意的な人選としかいいようがない旨主張する。

しかしながら、次のとおり、原告の右主張は採用できない。

(1) (人証略)によれば、確かに、原告は、本件命令以前、仕業検査を経験したことがなく、また、交番検査のうちモーター関係は未経験であったことが認められる。

しかしながら、(証拠略)の結果によれば、<1>交番検査は、電車の機器の細部にわたって行われる電車区では最高の検査であって、その業務経験によって電車の技術的内容を事細かに習得し得ることから、交番検査において車両検査係を経験すれば、仕業検査、機動検査班、品川派出所のいずれにおいても車両検査係としての業務を遂行するに足りる技術力、判断力を習得し得ること、<2>原告は、一年二か月にわたり、交番検査において車両検査係の実務を経験し、その間、モーター関係以外のポジションを全て手掛けたほか、新たに導入された二〇五系電車の業務も手掛けていること、<3>原告は、本件命令後、本務として品川派出所に配属されるまでに、本区で机上二日、現車一日の講習を受けたほか、品川派出所で日勤二日、徹夜二回の担務見習いを行い、所要の養成教育を受けたことの各事実が認められ、これらの事実によれば、原告が、本件命令以前、仕業検査を経験したことがなく、また、交番検査のうちモーター関係は未経験であったからといって、原告の技術力、判断力には、品川派出所における車両検査係として業務を遂行するのに欠ける点はなかったものと解される。

このことは、原告が、品川派出所に配属されてから後、技術力や判断力の不足のために業務遂行に困難を来したことはなかったという前記認定の事実によっても、裏付けられるところである。

(2) 書込み部分を除いた部分の成立に争いがなく、書込み部分は弁論の全趣旨によって成立が認められる(証拠略)によれば、<1>昭和五八年七月まで、品川派出所には車両検査係が五名しか配属されておらず、品川派出所に配属されている者のみでは、公休、年休、特別非番日などの際の代務要員を賄いきれないことから、必要の都度、本区から代務要員を派遣する方法を採っていたこと、<2>そのため、本区では、代務要員の派遣に備えて、原告が本件命令後に受けたのと同様の養成教育を受けた代務要員が一二名程確保されていたことが認められる。

しかしながら、右各証拠によれば、<1>養成教育を受けた者といっても、それは、品川派出所に欠員が生じた場合の補充要員の候補者ではなく、あくまで品川派出所に臨時に派遣される代務要員の候補者に過ぎなかったこと、<2>昭和五八年七月、品川派出所に配属される車両検査係を一名増員して六名体制にしたことに伴い、それ以降は本区から代務要員を派遣する方法は廃止されたこと、<3>代務要員としての養成教育を受けた一二名程の者については、品川派出所に配属される車両検査係としての技術力、判断力に問題はなかったが、いずれも一昼夜交替勤務の経験者であったことから、江口の後任の人選において対象外とされたこと、以上の事実が認められ、この事実によれば、代務要員としての養成教育を受けた者の中から江口の後任を人選しなかったからといって、本件命令において原告を人選したことの合理性が左右されることはないというべきである。

なお、原告は、前任者である江口自身も、自分の後任が原告であることを知って驚き、そのような人選は業務の常識からいって到底理解できず、原告では品川派出所の勤務は無理であると旧品川電車区当局に強く申し入れた旨を主張するが、証人隅正男の証言中、右主張に沿う部分は、証人山本幸司の証言に照らして採用し難く、かえって、右証人山本幸司の証言によれば、江口は、山本検修助役に対して、原告から同人の品川派出所への配転に反対してくれるよう頼まれて困っている旨話していたものであることが認められる。

(3) 証人山本幸司の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、途切れ途切れではあるにしろ、六年余りにわたって交番検査の業務に従事し、特に、昭和五九年九月からは、継続して一年二か月間、車両検査係として交番検査の業務に従事していたことが認められるから、たとえ、同一のグループの勤務としては原告よりも長い者がおり、原告だけが特に長いわけではないとしても、原告が「同一のグループに長く所属していること」という人選基準に該当しないとまではいえない。

4  以上、認定・説示したとおりであって、本件命令当時、品川派出所に江口の後任の車両検査係を補充する必要性があって、江口の後任として原告を人選したことには充分な合理性が認められるのであるから、本件命令には業務上の必要性が肯定されるというべきである。

5  ところで、原告は、旧品川電車区の小林区長は、昭和六〇年一〇月二八日午前九時過ぎ、同区長室において、原告が当日指定されていた品川派出所勤務のための机上講習について指示を求めた際、本件命令の理由に触れ、「視野が狭いから客と接してもらう。」などと述べたが、品川派出所の勤務は、電車の運行中に生じた故障を現場に赴いて修理する作業が中心の本来接客業務とは全く異質ものであって、客と接して視野を広げるという類のものではない旨主張する。その趣旨は、要するに、品川派出所の勤務は本来接客業務とは異質ものであるから、小林区長が本件命令の理由について「視野が狭いから客と接してもらう。」などと述べているのは極めて不合理であって、そのことからみても、本件命令が業務上の必要性を欠き不合理なものである、というにあると解される。

しかしながら、証人隅正男の証言及び原告本人尋問の結果中、旧品川電車区長が本件命令の理由について「視野が狭いから客と接してもらう。」などと述べたとある部分は、証人山本幸司の証言に照らして採用し難く、かえって、右証人山本幸司の証言によれば、<1>昭和六〇年一〇月二四日、本件命令を伝達した山本検修助役が、原告に対し、品川派出所に勤務する車両検査係に相応しい技術力、判断力を備えており、二〇五系電車の交番検査についても経験が豊富である、交番検査の勤務が一番長い、徹夜勤務を全員の人に経験してもらう必要がある旨本件命令の理由を説明したこと、<2>昭和六〇年一〇月二八日午前九時過ぎ、原告が区長室を訪れた際に小林区長が原告に述べたことは、「具体的な人選理由については山本検修助役から聴いたと思うが、品川派出所はお客様と接点のある職場であるから、接客の心構えを養ってきて欲しい。」という内容のものであったことが認められるから、原告の右主張は、その前提を欠くというべきである。

なお、(証拠略)の結果によれば、<1>南鉄局の昭和六〇年度経営計画の基本方針のひとつとして、「お客様を大切にする心と技において大手私鉄を上廻ること」が掲げられていたこと、<2>品川派出所では、電車に添乗して乗客の面前で故障した機器の修理、取替などを行うことが主たる業務となることから、その際、乗客の問合せに応対するなど、接客の機会がなくはなかったことが認められ、この事実によれば、小林区長が原告に対して右のようなことを述べたことに特に不自然、不合理な点はないというべきである。

6  また、原告は、<1>旧品川電車区では、車両検査係の異動は、三か月に一度の割合(一月、四月、七月、一〇月)で、交番検査、仕業検査、機動検査班などに順次一定の順番に従って行う慣行となっており、この途中の時期に配転を命じられることはなかったにもかかわらず、本件命令は、右慣行に基づく一〇月二日の配転が実施された直後に、突如として発せられている、<2>品川派出所への配転は、徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務が常態であることや、本線上の故障に対処するため一定の技術力、判断力が要求されるという、その勤務形態や業務内容の特殊性から、必ず事前に希望者を募り、本人の同意を得て行われる慣行となっていたにもかかわらず、なんら希望者を募ることなく、かつ、事前に原告本人の同意を得ることもなく、突如一方的に本件命令が発せられている旨主張する。

しかしながら、次のとおり、原告の右主張は採用することができない。

(一) 証人隅正男及び同木村克己の各証言中、車両検査係の異動は、三か月に一度の割合(一月、四月、七月、一〇月)で、交番検査、仕業検査、機動検査班などに順次一定の順番に従って行う慣行となっており、この途中の時期に配転を命じられることはなかった旨の部分は、証人山本幸司の証言に照らして採用し難く、かえって、右証人山本幸司の証言のほか、成立に争いがない(証拠略)によれば、<1>旧品川電車区では、昭和五九年七月以降、検修部門の職員の技術力の向上を図ると共に全職員が等しく日勤と一昼夜交替勤務を経験するようにするため、仕業検査、交番検査、機動検査班の三グループについてローテーションによる人事の交流を行うこととし、毎年一月、四月、七月、一〇月にそのための定期異動を行ってきたこと、<2>しかし、右定期異動以外にも、昇格試験合格、長期にわたる病欠、鉄道学園入所などの事態が生じたときには、その都度、随時の異動が行われてきたこと、<3>品川派出所と技術管理室は、右定期異動の対象外とされていたこと、<4>本件命令と同じ昭和六〇年一一月一日付けで、原告、江口、永島以外にも九名、全部で一二名の異動が行われていること、以上の事実が認められる。

右事実によれば、本件命令が定期異動直後の昭和六〇年一一月一日付けで行われているからといって、特に不自然、不合理はないというべきである。

(二) 証人隅正男及び同木村克己の各証言中、品川派出所への配転が必ず本人の同意を得て行われる慣行となっていた旨の部分は、(証拠略)に照らして採用し難く、かえって、右各証言によれば、品川派出所への配転に当たっては、事前に本人の同意を得るようなことは行われていなかったことが認められ、この事実によれば、本件命令が原告の事前の同意を得ずに行われたからといって、違法な点はないというべきである。

また、証人木村克己の証言中、品川派出所に配属される者を決定する場合には、点呼の席で聴くとか掲示をするなどの方法で希望者を募っていた旨の部分は、(証拠略)に照らして採用し難く、かえって、右各証拠によれば、品川派出所への配属を決定するに当たって、点呼の席で聴くとか掲示するなどの方法で希望者を募ることはしていなかったことが認められ、この事実によれば、本件命令の際、点呼の席で聴くとか掲示をするなどの方法で希望者を募っていないからといって、特に問題はないというべきである。

なお、(証拠略)によれば、旧品川電車区では、前記のとおり、昭和五九年七月以降、仕業検査、交番検査、機動検査班の三グループについてローテーションによる人事の交流を行うこととなったが、この制度の導入に際し、事前に各職場でその内容などを説明するための資料として山本検修助役が昭和五九年六月に作成した書面には、品川派出所への本区からの送り込みは希望者を募り行うことを原則とする旨記載されていることが認められる。しかしながら、(人証略)によれば、右書面に希望者を募るとあるのは、車両検査長会議を通して希望者の有無を確認するという方法で希望者を募ることを意味し、点呼の席で聴くとか掲示するなどの方法で希望者を募ることを意味するものではないこと、現に、江口の後任を人選する際も、車両検査長会議を通して希望者の有無を確認したところ希望者なしという結論になったことが認められ、この事実によれば、山本検修助役の作成した書面に右のような記載があるからといって、それが、品川派出所に配属される者を決定する場合には、点呼の席で聴くとか掲示をするなどの方法で希望者を募っていた旨の原告の主張を裏付けるものではない。

三  本件命令の不当労働行為該当性について

1  次に、本件命令が、原告が正当な労働組合活動をしたことのゆえに原告に対する不利益な取扱いとして行われたもの、或いは、分会の団結の弱体化を意図して行われたものと認められるかどうかについて検討する。

2  まず、本件命令によって原告或いは分会自体の組合活動に不利益が生じたかどうかについて検討する。

(一) 本件命令は、同一の電車区内における勤務の場所及びその態様の変更を命ずるもので、原告が所属する分会の同一性や分会執行委員長たる地位にはなんらの変動を生じないものである。

なお、(人証略)によれば、原告は、本件命令の約一か月半後の昭和六〇年一二月一五日に開催された分会大会で、分会執行委員長を退任しているが、これは、原告が同年一一月から国労東京地方本部電車協議会副議長に就任したことによるもので、本件命令とは関係のないものであることが認められる。

(二) もっとも、品川派出所の詰所が本区から離れた品川駅構内に置かれていること、これに対し、原告が執行委員長を務める分会の事務所が本区の構内にあることは、前記のとおりであり、これによれば、原告が本件命令によって本区の交番検査から品川派出所に異動したことにより、原告或いは分会自体の組合活動に、実際上、なんらかの支障が生じた可能性は否定することができない。

しかしながら、原告が本件命令後に分会執行委員長の地位にあった期間が約一か月半に過ぎないことは、前記のとおりであるし、成立に争いがない(証拠略)の結果によれば、<1>本区と品川派出所とは時間的に一五分程度しか離れておらず、容易に往来することができること、<2>品川派出所には分会事務所にも通じる鉄道電話が設置されており、原告は、この電話を使用して本区にいる分会役員と組合業務の打ち合せを行っていたこと、<3>また、原告は、公休日や非番日には、本区に出向いて組合員と直接に接触し、或いは、分会役員と組合業務の打ち合せなどを行っていたこと、<4>原告は、昭和六〇年一一月に国労東京地方本部電車協議会副議長に就任して、南鉄局と国労東京地方本部との団体交渉の組合側交渉員に指名されたが、団体交渉に出席する場合には、勤務解放されたうえ、いわゆる有給欠勤の取扱いを受けており、その回数が、昭和六〇年一一月は一回、昭和六一年一月は八回、同年二月は六回に及んだこと、以上の事実が認められる。

右事実によれば、原告が本件命令によって品川派出所に異動したことにより、原告或いは分会自体の組合活動になんらかの支障が生じたとしても、本件命令から原告が分会執行委員長を退任するまでの期間との関係をも勘案してみると、さしたるものではなく、考慮に値する程のものではないと解するのが相当である。

(三) 以上のとおりであって、本件命令によって、原告の分会員たる地位或いは分会執行委員長たる地位になんら変動が生じていないばかりか、実際上も、原告或いは分会自体の組合活動にさしたる支障は生じていないのである。

(四) この点について、原告は、分会の中心的な立場にあった原告は、本件命令により、他の組合員との接触の機会を大幅に奪われ、いわば島流し同然の隔離された状態に置かれたほか、品川派出所では徹夜勤務が常態のため、夜間に開かれることが多い分会の会議にも勤務日は全く出席できなくなるなど組合活動上重大な支障を被り、併せて、分会自体も、組合活動上大きな支障を受けざるを得なくなった旨主張するが、右(一)ないし(三)の検討に照らして、直ちには、採用することができない。

3  次に、本件命令によって原告の生活に不利益が生じたかどうかについて検討する。

(一) 原告が本件命令直前に所属していた交番検査の勤務形態が日勤であり、本件命令によって所属することとなった品川派出所の勤務形態が一昼夜交替勤務であることは、前記認定のとおりである。

日勤から一昼夜交替勤務に変ることによって生活のリズムが狂うなどの支障が生じることは、一般に認められているところであり、前記認定のとおり、原告には本件命令以前に一昼夜交替勤務の経験がなかったことをも併せ考えると、本件命令によって日勤から一昼夜交替勤務に変ったことにより、原告になんらかの生活上の支障、不利益が生じたことは、否定し難い。

(二) しかしながら、成立に争いがない(証拠略)によれば、<1>電車区の車両検査係の職務には一昼夜交替勤務も当然に含まれていること、<2>旧品川電車区では、前記のとおり、昭和五九年七月以降、検修部門の職員の技術力の向上を図ると共に全職員が等しく日勤と一昼夜交替勤務を経験するようにするため、ローテーションによる定期異動を行ってきており、現に、車両検査係は、健康上の理由で勤務に耐えられないなど特段の事情がない限り、殆ど全員が一昼夜交替勤務を経験していること、<2>原告は、本件命令に伴い、住居の移転を必要としなかったことはもちろん、通勤に要する時間も、往復で従来より約三〇分短縮されたほか、各種手当てが支給されるようになって収入も増加していること、以上の事実が認められる。

右事実によれば、本件命令によって原告に生じた生活上の支障、不利益は、旧品川電車区内の職場異動に通常伴う程度のものに留まり、それ以上に格別の支障、不利益が生じているわけではないというべきである。

(三) 原告は、品川派出所の勤務形態は、原告には経験のない徹夜勤務を含む一昼夜交替勤務であって、突如このような勤務に就くこととなったため、生活設計に重大な不利益を被った旨主張するが、右(一)、(二)の検討に照らして、採用できないことは明らかである。

4  以上、2、3で検討した点に、前記二で詳述したとおり、本件命令には業務上の必要性が肯定されることを併せ勘案すると、本件命令が、原告が正当な労働組合活動をしたことのゆえに原告に対する不利益な取扱いとして行われたもの、或いは、分会の団体の弱体化を意図して行われたものということはできない。

5  この点について、原告は、旧品川電車区の小林区長は、昭和六〇年一〇月二八日午前九時過ぎ、同区長室において、原告が当日指定されていた机上講習について指示を求めた際、本件命令の理由に触れ、「国労ワッペン、リボンの着用など、国鉄当局の指示に反する活動を行い、これを組合員に対して指導した。」などと述べているが、国労ワッペン、リボンの着用は組合活動そのものであって、これを理由に挙げるのは本件命令が業務上の必要に基づくものではなく、組合活動に対する報復措置として行われたことを明らかに示すものである旨主張する。

しかしながら、(人証略)の結果中、小林区長が原告に対して原告主張のようなことを述べたとある部分は、証人山本幸司の証言に照らして採用し難く、ほかにこれを認めるに足りる証拠はないから、原告の右主張はその前提を欠き採用することができない。

6  以上の検討によれば、本件命令が労働組合法七条一号、三号所定の不当労働行為に該当するということはできない。

四  結論

以上の認定・説示によれば、本件命令が労働組合法七条一号、三号所定の不当労働行為に該当するとはいえず、したがって、本件命令が違法性を帯び原告に対する不法行為を構成するということはできない。

(裁判長裁判官 大田豊 裁判官 山本剛史 裁判官田村眞は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 太田豊)

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